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日本のここがおかしい

長年の米国でビジネスマン生活をリタイアして 帰国後、日本を覆う閉塞感を見かねて、ブログ をはじめました。5年後閉鎖となったので 引っ越しました。

2012-08

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女性パワー

 ロンドンオリンピックのメダリストの銀座行進、すごかったですね。日本であんなに人が集まったのは見たことがありません。それだけ選手たちの多戦いぶりに国民が感動した証でしょうね。

   中でも女子選手の活躍が目立ちました。体操いがいではほとんどの競技で女子が男子より好成績をあげました。この傾向は今回のオリンピックだけではなく、ゴルフも含めて近年のスポーツでは顕著となっていましたが、改めて認識させられました。

   やはりこれからの日本の希望は女性の活躍なのです。これからの少子高齢化で人口減少、労働人口減少を補うのは高齢者パワーもありますが、何よりも女性のパワーです。日本の女性は男性よりはるかにパワフルです。NHKなんかでやっている歌の公開番組の観客席なんか見てもほとんどが女性です。男性は仕事に疲れて、それどころではないのでしょう。買い物するのもほとんど女性、旅行も同じです。男性よりはるかに活動的で、消費の面では圧倒的に男性をリードしています。

   消費の面では言う事ないわけですが、これからは生産側にも男性以上のパワーを発揮して欲しいものです。昔は確かに、産業構造から女性は非力で、生産のための作業は男性が中心でした。戦いも男性中心でした。ですから、女性にできる事は家事と、子育て、サービス業位だったのは事実です。

   しかし、時代は変わりました。製造業でも機械の操作で力がなくても出来る仕事が主流となり、エレクトロニクスなど細かい作業は女性の方が男性より優れています。また女性の消費が圧倒的なので、開発も女性の方が向いています。製造業以外のホワイトカラー職では、頭脳労働ですから男女の差はありません。サービス業でも同じです。これらを総合すると今や男女の能力差はないと言ってもよいでしょう。

   ところが大企業や官庁の採用は圧倒的に男性中心です。管理職、経営者に出世するのも圧倒的に男性が多くなっています。これは男性中心社会であった時代の制度と文化がそのまま残っているからです。女性の側の心構えも、どうせ結婚するまでの腰掛だからとか考えて、子供の頃から男性並みの準備をしない女性も多いですね。鶏と卵の関係です。女性が能力次第で男性と同じように出世できるのだと分かれば、子供の頃から張り切って勉強もするでしょうし。

    女性には結婚、出産、子育てという大きな壁があります。これは男性側や会社などの雇用主が古い意識のままだからです。結婚して共働きは増えていますが、家事は女性に押し付けられがちです。共働きなら全く平等にするべきなのに。男性も独身時代は一人暮らしなら自分で家事をやっていたのでしょうから、女性に甘えるべきではありません。出産、育児休暇は会社の完全な理解が必要です。それから保育園の充実が必要です。もちろん男性も子育てに同等の貢献をしなければならず、男性の雇い主もそのことを理解しなければなりません。

   この辺の意識を日本の政治、社会、個人個人が革命的に変えないと、男女完全平等社会は実現しません。ただでさえ、この面で日本は欧米先進国に圧倒的に遅れています。その欧米をはるかに上回る高齢化社会が来ようとしているのに、いつまでも女性パワーを埋もれさせたままでは日本に未来はありませんよ。これは理念的な男女平等とか人権問題というような人道上の話ではありません。日本が生き延びるためにはそれしかないのです。いつまでも戦前か江戸時代の時代錯誤の男性中心的感覚でこの少子高齢化社会が乗り切れるはずがないのですから、革命的意識改革を望みます。

本当は次の選挙の主要テーマにするべきだと思いますがね。アメリカでも人種差別などで行われたアファーマティブアクションという法律。女性問題でもありました。大学の入学に一定以上の黒人や女性をいれないとならないという法律です。成績が自分より低い黒人が入学できて自分が落ちるのはおかしいと言う訴訟などが起こりましたがそこまでしないと平等は実現しないと言う事でしょう。日本でも大学もそうですが企業に一定以上の女性の採用を求め、一定以上の管理職を求める法律を作ればよいのです。もちろん、育休などは、守らない企業は罰するとともに政府が発表して社会の評価を貶めるのです。これくらいやらないとこの問題は前進しません。strong>
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反原発と尖閣

   最近のアンケートによると原発ゼロを支持することが46%に達したそうです。原発反対デモは盛り上がり、日本のデモでは珍しく20万人を動員したとか。これをほとんどの人が反対していると見るか、所詮、1億人の内の20万人に過ぎないと見るか、評価の難しいところです。野田首相はついに、異例の、デモの代表たちとの会合を持ちました。当然ながら話はかみ合わなかったようですが、反対派の代表の一人は、経済、経済とおっしゃるが、命とどちらが大事なんですか!と叫んでいたのが印象的でした。

   こういう理屈は今も社民党の議員なんかが国会の質問で使うようなトーンです。命は確かに一番大事なのですが、経済とはその命を維持するためにあるものです。どちらが大事かという二者択一のものではありません。現在、平均寿命が延び、幼児死亡率が下がり、以前は失われた命が多く救われているのは経済が成長して、豊かになったからです。経済が崩壊して、戦前や江戸時代のようなレベルに戻ると、多くの命が失われます。

   どうせ反対派は、そんなことを承知の上で、一般大衆には一番受けやすい、命か経済かと言う二者択一論で攻勢を強めているのでしょうが。それだけ一般大衆のレベルがなめられているという事でしょうか。原発に反対するのなら、もし原発ゼロですべての原発を廃炉にする費用と、火力発電中心の電力供給で、国の財政や、経済レベルがどうなって、国民の生活水準や国民負担がどうなるかまで示して欲しいものです。

当然、発電コストが高く、産業の国際競争力が落ち、企業の倒産や海外移転が頻発し、国内では失業者が増え、食べられなかったり、医療を受けられない人が増えて、命の危険にさらされる国民が増えるという問題が想像できますが、どうすれば経済を維持したまま、すべての原発を廃炉に出来るのかという問題を明確にしてもらわないと、反原発に容易に賛成はできない筈です。

話は変わりますが、尖閣に上陸した香港の活動家たちの顔をみましたでしょ。恐ろしい顔をしていますね。あの顔を見て、昔見た映画、チャルトン・ヘストン主演の北京の55日を思い出しました。音楽もヒットしました。義和団事件というのは中国への列強の進出に反発した民衆が義和団というのを組織して、暴動を各地で起こして北京の外国人居住区に迫った動乱事件でした。勿論あの事件は中国を植民地化しようとする列強の方が悪いのでしょうが、しかし、清龍刀を振り回すあの、暴徒たちの顔つきと、今回の上陸組のそれとか良くにていました。

   考えてみれば中国では反日という事ではなくとも、毎日、あちこちでいろいろな暴動が起こっているそうです。中国歴史そのものが動乱の歴史でした。中国人は農耕民族中心ですが、集団で暴徒化しやすい国民性ですね。そう考えれば今起こっている反日デモも、そんなに深刻に受け止める事はないのかもしれません。彼らが海を越えて日本に押し寄せられるわけではないのですから。二度にわたる元寇も海のお蔭で防げましたし。むしろ中国政府が、反日デモが過激化すると、狙われるのは日本ではなく、自分たちだと心配するのも良くわかります。そして、政府がうまく制御しないと、政府などあっという間に倒される可能性もあることもわかります。

これに比べたら日本人なんか大人しいですね。戦前は政府の扇動に乗って、鬼畜米英とやって、命がけで戦いましたが、社民党あたりが、経済か命かと叫んで、必死になって反原発をあおっても、参加するのは20万位がせいぜいです。お上に従順な国民です。だから政治家も官僚もいい加減になってしまうのでしょうね。中国の政治家や官僚などずいぶん悪い事をやっているでしょうが、おそらくぴりぴりしながらやっているでしょうね。ちょっとでも力のバランスが崩れるとすぐ汚職なんかでデモされて裁判にかけられたりしますから。日本の小沢裁判なんかかったるい感じです。

お上に従順な国民性は良いですが、できれば、もっと知性を身に付けて、本当に国の為、孫子のために何が正しい政策か、だれが正しい政策を実行できるのかを判断できる力を持てば、政治家も、官僚も自然にもうすこしましになるのではないでしょうか?あの鳩山さんが代表する民主党に政権をゆだねる選挙で圧倒的に投票してしまった不明を恥じるべきです。今、鳩山さんがテレビに出てくると漫画の中に出てくるダメ政治家の印象と重なります。あんな人に良く投票したものですね。

小役人と小国民

   北方領土、竹島に続いて尖閣でも騒ぎになっています。意図的か意図的でないかは別にして、領土問題での日本包囲網を三国が連動して行っているように見えます。こういう事態になったのも日本の政治の弱体さを付け込んでのことでしょうね。さらに言えば、鳩山元首相がめちゃくちゃなことをして、日米同盟に亀裂を入れたこともあります。今のオスプレイ騒ぎでも、遠因はそこにあるのでしょうから。

   領土問題と言うのは一度譲ると際限がないですからね。終戦がもうちょっと遅れていたら北海道はソ連に占領されていたでしょうね。尖閣でも中国に取られたら次は沖縄を狙ってくるでしょう。昨年の尖閣騒ぎでも、北京でのデモで、日本は琉球を返せと叫んでいるのがありました。江戸時代以前の琉球は明などの王朝に朝貢していまいたからね。あれは中国領だという主張も出来ない事はないのでしょう。韓国は竹島の次は対馬だと言っているそうですし。

   日本が弱くなると、こういう圧力がどんどん強くなってきます。そうならないためにも政治が安定しないとどうしようもありません。今の民主党政府ではもうどうにもならないでしょう。早く選挙をするべきです。そして、我々選ぶほうは、政党が主張するばらまきには目を向けずに、強い日本、強い国民を志向する政党、候補者にいれるべきです。

   政治がだめだと国民が悲劇であるという典型が終戦前の政府です。NHKスペシアルで、どうして負けると分かっていたのに終戦が8月まで伸びたのかというドキュメンタリーをやっていました。4月には海外の駐在武官からソ連が参戦を約束したという情報が陸海軍に入っていたそうです。独ソ戦を勝ち抜いたソ連が参戦したら日本はひとたまりも無い事は誰でも知っていました。

   この情報を得た、陸軍大臣、海軍大臣は、これ以上戦えない、終戦にするべきだと考えました。しかし、この情報は首相や、外務大臣には伝えませんでした。政府首脳6者が何度も会議をして、戦争継続か終戦かを話し合っているにもかかわらず、この情報は明らかにせず、これ以上戦えないと分かっている陸海軍大臣も、その場では戦争継続を主張します。要するに実質的な政府というのが存在せず、陸軍省、海軍省、外務省の縦割りになっていて、政府のメンバーとしては戦争は止めるべきだと思うが、陸軍のトップとしては、陸軍の面子が立つかたちでしか戦争を止められないというジレンマに陥っていたのです。(そうでないと自分の身分や命があぶない)

   陸軍大臣が本当はこれ以上戦えないと天皇に個人的に伝えたので、天皇が6者会議を召集して、意見を言わせたら、陸軍大臣は戦争継続を主張したというのですからあきれます。ようするに自分の保身しか考えない官僚が最高会議を構成して、その中にリーダーが存在しなかったのですね。時代劇などで良くある、自分の命などどうなってもよいから、国や藩のために信念を貫くという侍の姿は微塵もありません。軍人は自らを武士だと主張していたようですが、実際には小役人に過ぎない人たちが国の運命を握っていたということです。そして何の決断もしなかった。

   もし4月に戦争をやめていれば、沖縄はあそこまでやられなかったし、広島、長崎の原爆もなかったし、空襲の被害も減ったし、北方領土も取られてないし、シベリア抑留も無かったことになり、この小役人達がどれだけ罪深いことをしたのかという事です。8月に天皇が主導してポツダム宣言を受諾してなければ本土決戦となって、日本人の三分の一はころされていたのではないでしょうか。

   原発事故の対応を見ても、多くの小役人的政治家や官僚の対応が見られました。日本の政治が停滞しているのも、政治家達が自分の選挙を最優先に考え、すべての政策や思考が自分が当選するかどうか、幹部連中は自分の政党が選挙に勝つかどうか、その結果自分の地位が保てるかどうかしか考えていないからです。自分はどうなってもよいから国の為にはこうするべきだという考え方をする政治家が居ないのです。終戦の時の官僚政治家たちと良く似てます。

   こういう政治家を生み出したのも国民自身が保守的で、自己保身と利己を最優先にする国民がおおくなったからでしょうね。高度成長で大した努力をしなくてもそこそこの生活が出来るという甘い体験をしてしまったから、坊ちゃん、嬢ちゃんがふえてしまいました。テレビや雑誌でもグルメ、旅行、お笑い、ミニスカートばかり。30年後にはそんな余裕はなくなるのでしょうけど

政界再編

紆余曲折ありましたが、ようやく税と社会保障の一体改革が成立し、商店は解散の時期になりました。しかし、民主、自民いずれが政権をとっても、参議院では過半数に達せず、ねじれが解消されるわけではありません。決められない政治が続くことになります。

  打開策は政界の再編しかありません。そもそも今の政治がこんなにもたもたしている原因はねじれもありますが、民主党が野合政党だからです。だれかが、選挙互助政党だと言ったのもあたっています。自民党からはみ出た人たち、凋落した旧社会党の残党で、社民党に入るよりは選挙に有利だろうと入った人たち。政権交代ムードのなかで、議員になりたくて当選した人たち。労働組合の代表達。その他諸々が選挙を有利に進めるために民主党を作り、入党しました。要するにこの党には一本の思想と言うものがないのです。ですから、重要な政策、法案が出てくると、各議員は自分の当選にとって有利か不利かという発想でしか考えません。

   一方の自民党も民主党ほどではありませんが、ばしっとした思想がありません。冷戦時代は自由主義を守るという思想がありましたが、それとともに財政資金を全国万遍なくばらまいて、票と利権をえる政治モデルを田中角栄が作りました。高度成長までは財政資金が豊富でしたから、このモデルが成功しましたが、バブル崩壊とともに財政資金が枯渇しました。それでも経済たてなおしと言う大義名分があったために国債を乱発することにより、このモデルを続けました。

   しかし冷戦も終了し、国民はこのモデルに懐疑的になってきました。このばらまきが成長分野に重点的に投入されるのではなく、全国くまなくハコモノや経済効果の薄い地方空港その他の公共工事に配分され、一時的に土建業者などの仕事を増やしただけで、日本再生につながらなかったからです。自民党議員も自分の選挙ばかり考えて、選挙の助けにならない成長分野などを否定し、すぐに票になる土建業者むけのばらまきしか出来なかったのです。これに対する国民の疑問が細川内閣を生み、その後政権を取り戻しても、公明党の援けなしには衆議院で過半数を得られず、参議院では公明党の援けでも過半数割れになりました。

   この状況を打開しようとしたのは新自由主義を掲げた小泉内閣でした。この内閣は一つの思想の元に、小さな政府を目指し、公共工事によるバラマキを止め、規制緩和を行い、財政の均衡を目指し、郵政公社、道路公団の民営化を実行しました。人気が出たのは、こういう政策によるというよりも、一つの思想に基づいた政策を実行したからです。

   小泉首相が引退した後は、リーマンショックなどがあり、景気が低迷し、格差が拡大しましたが、民主党などはこれらを小泉政策の結果だと批判しました。実際に景気が悪く、格差も拡大したので、国民は現象面だけ見て、民主党の主張に乗り、政権交代を認めました。しかし、これが大きな誤りであった事は今、明らかです。

   民主党は新自由主義に対抗するために、社会民主主義的な政策を作りマニフェストに掲げました。しかし、これが野合政党である民主党の本来の思想であるはずがありません。一部の旧社会党系の人たちは社会民主主義的な気風は持っていますが、元もとの自民党のばらまきによる票と利権の政治モデルの元祖のような小沢グループが本当に社会民主主義を信奉しているとはとても思えません。野田さんはじめ松下政経塾出身の有力議員たちの本来の思想も社会民主主義とは思えません。単に小泉内閣のアンチテーゼとして出した政策に過ぎない社会民主主義政策が保つ筈がないのです。

   私自身は格差の拡大は新自由主義のせいだとは思っていません。原因はグローバリゼーションであり、中韓と同じ仕事しか出来ない日本の労働者の賃金が中韓の賃金に近づく過程にすぎないのです。日本でも同一労働同一賃金がさけばれていますが、これが世界規模に起こるのは必然であり、これを防ぐには鎖国するしかありません。新自由主義とは関係ないのです。これまで日本の労働者だけが良い賃金を得られたのは、冷戦で、東西に大きな壁があり、西側だけが壁にかこわれて居たことと、発展途上国が離陸していなかったから、日本の労働者の賃金が壁の中では比較的低かったからなのです。この壁が壊れたので、安い労働が壁を越えて津波のように押し寄せてきているのが現状です。

   政界の再編ですが、私は新自由主義の信奉者と、社会民主主義の信奉者
を軸に行われるべきだと思います。これが西側先進国の潮流です。その上で、今の日本人はちょっと依存性が強すぎるので、自分の面倒は自分で見る、人を頼らないという、新自由主義的気風を強めることが、今の日本を立て直す鍵だと思っています。神輿を担ぐ人とぶら下がる人のバランスの問題ですが、担ぐ人が圧倒的に多い社会を作らないと社会はなりたちません。

本当の困窮している人を少しはぶら下がらせてあげる事はやぶさかではありませんが、みんなが担ごうという気概をもった国民に、精神の入れなおしが必要です。そんな時に、社会民主主義を標榜する政党に政権をとらせたら、担ぐ人は減るばかりです。最低保証年金7万円が若しきまったりすると、まじめに働こうとしなくなります。元々日本のような農耕民族はそうでなくても、互助的風土が強く、困れば助けてくれるという依存心がつよいのですから。社会民主主義というのは、独立心が強い、狩猟民族の国だからこそ成り立つのではないでしょうか?

集団ヒステリー

   ロンドンオリンピックたけなわです。金メダルこそ少ないですが、メダルを次々と取り、日本人としては満足というところでしょう。特に男女のサッカーは大したものです。欧米人中心のスポーツでここまでがんばるとは!

   このサッカーの試合の報道などで、選手の地元の人たちやスポーツバーなどで集団で観戦する風景がすっかり定着しました。画面に映し出される場面に一喜一憂している姿はほほえましいとはいえます。私なんかは一人で静かに観戦したい方なので、ああいうところに参加する気はありません。別に試合会場から遠く離れたところで集団で大声だしても、届くわけも無いのにねと皮肉りたくもなります。でも参加している人たちは集団で一緒に興奮状態に入りたいのでしょうね。

   同じような集団興奮状態は若者の音楽コンサートでも見られます。あれも傍から見ていると異様に見えます。大規模なコンサートは昔からありましたが、美空ひばりが武道館でコンサートを開いても、観客は今の若者のような興奮をしませんでした。これは今の若者音楽がロックなど、リズム楽器を多用して、興奮を掻き立てるような演奏をするからでしょう。

   こういう風に考えると、ヒットラーの演説を思い出します。もちろん、私は戦後生まれですから、実際に見たわけもありませんが、映像で見ると、いかにも集団を興奮させるような演説です。いわゆるアジリという手法です。集団の中で特にシンパが率先して興奮し出すと、たちまち伝染して、大声でユダヤ人殺せとなって行きます。大衆を扇動する危険な手法です。同じ演説を聴いても個人で聞いていたら決して興奮しないはずです。

   政治的集団興奮は危険ですが、もちろん音楽やスポーツの集団興奮はそれほど危険ではありません。ロックコンサートで圧死者が出たり、イギリスでサッカーファンが暴徒化したり、阪神が優勝したら次々に道頓堀に飛び込んだというようなことがあった程度でしょう。しかし、集団興奮=集団ヒステリーが危険なことがもう一つあります。それが学校でのいじめです。

   いじめは二種類あり、一人のいじめっ子がいじめられっ子をを継続的にいたぶるというようなことと、集団で一人を継続的に攻撃するパターンがあります。前者は集団ヒステリーが発生しないために、やることに限度があります。やるほうも冷静にリスクを計算する余地があり、ぎりぎりの手前までしかやりません。やられるほうもちょっと我慢しているか、相手より強いやつを味方に引き入れたりすると、すぐに止まります。

   問題は集団でやるパターンです。一人では怖いので、仲間を引き込むと、なかまどうしで、競い合ってエスカレートします。個人がやっているのではないので、責任感が分散され、希薄になります。なによりも集団興奮状態になり、暴力の連鎖がおこります。言葉の暴力もひどくなります。全く冷静さがなくなり、行き着くところまで行ってしまいます。

   いじめ対策をするならこの集団ヒステリー状態の発生を把握することがだいじです。そして扇動者がかならずいますから、扇動者を特定して、扇動行為を止めさせなければなりません。

   集団興奮の問題は古くて新しい問題で、政治学の主要テーマでもあります。ナチスによるユダヤ人虐待は今の学校でのいじめが国家規模で行われたものであり、本質は大してかわらないかもしれません。大学で政治学を学んだ自分としては、集団でもスポーツ観戦や音楽コンサートの興奮ぶりに不気味なものをかんじてしまうのです。

もちろんこういう音楽やスポーツでの集団興奮はアメリカなどでもあることで、日本だけのことではありません。阻害されて、孤独な現代の若者がスポーツなり音楽の一つのテーマに共感し合って、集まれば、確かに疎外感からは逃げられます。しかしそれはつかの間の喜びでしかありません。本当の幸福はもたらしてくれません。本当の幸福は一人で他人と交わることなくとも喜びを感じる事を身につけることだと思います。もちろんパートナーを得た時は二人で幸福を見つけることです。集団的興奮状態に加わらないと孤独から抜けられないようでは一生幸せにはなれません。麻薬のようなものですから。

地方の公共工事

    新潟県の山中の国によるトンネル建設工事で漏れたメタンガスが爆発し4人が死亡するという悲惨な事故がありました。まことにお気の毒です。しかし、映し出された映像を見て、どうしてあんな山又山の山中に数百億円もかかるようなトンネルを作る必要があるのかという事です。説明によると、すでに道路はあるのですが、急坂のカーブが多く危険だからと言う理由だそうです。

    それは確かに、事故が良く起こるカーブの多い道路をトンネルでまっすぐにしてあげれば安全になるのはわかります。しかし、日本の人口はこれから減り続け、数十年後には8000万人くらいになってしまいます。という事は、こういう過疎地の人口の方が都会より減り方が激しいでしょうから、数十年後には誰も住んでいない地域になる可能性が高いのではないでしょうか?

   地元の強い要望があり、地元国会議員が働きかけて国土交通省が合意して予算申請して実現したのでしょうが、その背景には利権や省庁の勢力維持などさまざまな思惑により実現したと想像できます。そしてこの費用は国の借金でまかなわれ、返済は将来の都会住民、企業が行うしかありません。あの過疎地の地元住民が税金を払っているとは思えませんしね。

   八ン場ダムの場合でも同じようなことがいえるのでしょうが、あの場合は水利の受益者は一応首都圏各都道府県に及び、人口が非常に多いですから、必要性の議論はありますが、まだ理解できます。しかし、日本の人口動態から言って、将来人の居なくなる場所に、どんどん公共工事を行うのはいかがなものでしょうか?おそらくこの工事も、随分前に計画されたもので、こんなに人口が急激に減るという事が、世間一般に認識されていなかったころなのでしょう。そして一旦予算を勝ち取ってしまえば、そのご時代が変わり、情勢が変わっても工事を止める事はありません。

   国土交通省は日本全国各地に出先事務所を抱え、多くの職員を抱えています。事務所があり、この人たちがいる以上、遊ばすわけには行かないので、なんとか仕事を作ろうとします。そして地元選出の国会議員と語らって予算を取るのです。

   日本政府の財政赤字が膨大なだけではなく、毎年の予算も半分が借金でまかなわれています。しかし、過去に配分された未消化の予算はどうなっているのでしょうか?詳しい仕組みは知りませんが、何十年か前にダムを作る予算を通して、何百億かを割り当てたとしたら、その金はずっとどこかにキープされているのでしょうね。まさか予算が通っても実際に工事が行われるまで国の資金配分は行われないという事はないと思います。確か、コストが上昇して追加が必要なときだけその年の予算に計上されるはずです。(殆どの工事は、最初は小さく見積もるので足りなくなるのですが)

   もしそうなら、過去に予算を通して、実際にはまだ使われていない膨大な金が眠っているのではないですかね。もしこの考えが正しいのなら、すでに予算配分された全国の公共工事を今の時点でもう一度見直して、切れるものはどんどん切り、余った金をその年の予算の資金に使えば国債発行額が減らせるはずです。この辺は私ももうすこし勉強が必要ですが。

   これからの人口急減社会をどのように統治するのか、議論の時が来ています。前にも書きましたが、居住地域を制限して、殆どの過疎地を原野に戻す方向に持っていくべきです。居住地域は都会とその周辺。農林業に適した土地は大規模化して、少数精鋭で居住を認める。こういう線引きをやり直すべきです。これまでも線引きのやり直しは行われていましたが、むしろ成長に伴い、居住地域制限を緩和して来ました。それを逆に強化するのです。その際、先祖から住んでいるなどの事情は考慮しないで、半強制的に移住をせまります。

   もちろん基本的人権の問題や憲法の問題がありますから、どうしても移住したくないという人には強制はできません。その代わり、行政や国はその地域のインフラに一切金をだしません。自然の状態で自給自足でもしたいのならどうぞ。救急車も道路が通れなくなったのでいけませんよ、電気も水道も効率が悪いのでやめます、郵便も配達できませんという事になります。この人たちが税金をどんどん払ってくれている人なら行政も無碍には出来ませんが、殆ど払わずに、受け取りの超超過なのでしょうから、文句を言わさないようにして欲しいものです。移住してみれば、買い物、病院にも近く気に入る人が多いのですから

しつけ

   相談サイトでおばあちゃんの相談です。「息子一家が遊びに来ました。子供達が元気に走り回っているのを嫁が追いかけていたので、元気な良い子に育ったねといったら、嫁が涙を流して、お義母さんにそんな風に言って頂いたらうれしいです。いつも、周りからいやな目で見られて、どんなにいやな思いをしているかと言うのです。子供が元気に走り回ることがそんなにいけないことなのでしょうか?」という相談です。

   回答した読者の中には、子供が元気に走り回るのを見るのはうれしいのでいいではないですかと、非常識だ、いきなりぶつかられたりしたら危険だし、うるさい、しつけが悪いという両論に分かれました。

   私自身は長年アメリカに居て、この問題を考えさせられたことが何度もあります。レストランに行って、食べ終わったら走り回っている子供はすべて、日本人他のオリエンタルです。白人の子供は決して親が食べ終わるまで席から離れません。私たちが食べている最中を子供が走り回って、大概の人は、元気でいいねとは思わないと思います。私自身も不快でした。でも、親は平気。知らん顔です。

   恐らく、親は自分にとって可愛いのだから、他の人にとっても可愛いだろうと錯覚しているのではないでしょうか。ペットでも同じです。近所で犬がわんわんほえて迷惑していますが、飼い主は、○×ちゃんやめなさいとやさしくいうだけです。周りの人も可愛いと思っていると錯覚しているのですね。

   こういう点では欧米人のマナー教育はしっかりしています。欧米人は狩猟民族でワイルドな人種ですが、人前ではきちっとビヘイブできるように幼児期から教育されています。これが社会で生きていく上でも基本だからです。個人主義だから尚のことともいえます。いくら個人主義と言っても、一人で生きていけるわけではありません。人間はコラボレーションによって生きていけるのです。そのコラボレーションを得るためには社会のルールを守られなければなりません。そうでないと誰も相手してくれません。あの人と一緒にやろうとは思わないのです。

   ところが日本のような農耕民族のもたれあい社会では、常に他人に対して、甘える傾向にあります。ちょっとくらいゆるしてくれるだろうという気持ちを持っている人が多いですね。日本人は倫理観、道徳感はしっかりさいていて、犯罪も比較的少なく、他人にひどい迷惑をかける事はすくないのだと思いますが、ちょっとした迷惑は平気でかけます。

   欧米では自動販売機など持ち主の目の届かないところにおこうものなら、あっという間に金が盗まれます。人前ではマナーを守り、誰も見ていなければ何をするか分からないという事です。日本人は人前でも人の居ないところでも、ちょっとした事はやりますが、大それた事をやる人は少ないと思います。

   ですから欧米がよいというわけではありません。随分前ですが、アメリカでラジオ番組を聴いていると、この国で一番人気のあるスポーツ何んだか知っているかいと問いかけました。答えはワイフビーティングでした。映画などで見る、紳士が妻のドアをさっと開ける、レディファーストのマナーは、日本でも、男が女性に催促される習慣ですが、誰も見ていない家庭の戻ると、殴られるというわけです。(もちろん誰もがというわけではありません)

   ようするに表面だけのマナーに感心してもあまり意味がないという事です。しかし、元の子供を走らせる問題に戻りますと、やはりTPOを考えて欲しいものです。静かに語り合いながら食事している横を他人の子供達がギャーギャー叫びながら走り回っていては、楽しい食事も台無しです。子供が走り回るのは大賛成ですが、それは野外の公園や運動場に限るようにしつけるべきでしょうね。そのようにTPOを使い分けられるように教育したら、空気を読めないとか、大人になってから恥をかくようなこともなくなるのでしょうから

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