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日本のここがおかしい

長年の米国でビジネスマン生活をリタイアして 帰国後、日本を覆う閉塞感を見かねて、ブログ をはじめました。5年後閉鎖となったので 引っ越しました。

2012-06

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似非民主主義

  予想通り小沢、鳩山グループが反対票を投じました。マニフェストの原点に戻れと叫んでいますが、これが本心だと信じている人はいないでしょうね。首相を中心とした主流派から疎外されているのが気に食わないから、反対したのに、全く耳を貸してくれないからいじけただけの話でしょう。グループのメンバーは小沢さんの金にしがみついているだけかもしれません。彼は父親の代からでしょうが、いろいろな手段で金をあつめましたからね。(文芸春秋で詳しく出ていました)

   しかし党議拘束というのはどうなんでしょうかね?それぞれの議員がそれぞれの意見を信念に基づいて投票するべきところを、党の中での主流派が決める意見に全員同調させるやりかたが民主主義的と言えるのかどうかは疑問があります。アメリカの議会なんかは元々保守主主義を信奉する共和党ご社会民主主義の民主党との思想の違う人たちが分かれて党派を形成しているのですから、自然,賛成、反対は別れてきますが、党議拘束はしないので、政府側は反対党の議員も賛成に回るように説得を試みます。それでこそ、議会での討論の意味が出てきます。

   日本の国会のように、最初から結論が決まっていて、討論は形式に過ぎないのとは違います。今回の消費税法案にしても、本来は弱者の味方の政党は反対して、財政規律を重んじる政党が賛成する場合、弱者の味方のなかにも、財政が破たんしたら結局、ひどい目に合うのは弱者だという説得に耳を貸す議員も出てきて、必ずしも政党の勢力通りの投票結果にならないのが本当の民主主義です。確かに日本の場合は議員内閣制ですから、首相を選んだ政党から首相の政策に反対する議員が続出したら政治にならないことはわかりますが。

   福沢諭吉は明治初期に日本に民主主義の導入を唱えましたが、その前提として独立自尊を訴えました。投票する個々が自立していなければ民主主義は成り立たないというものです。例えばイラク戦争の後の事を見てみたらわかります。フセイン政権が倒されて、さあ民主主義による選挙だとなりましたが、結果は投票前から見えています。シーア派の国民はシーア派の候補に、スンニ派の候補はスンニ派にしか投票されないからです。それぞれの人口比で議員はきまりますし、その結果の首相もきまります。

   しかし国のテーマはシーア派を優遇するかスンニ派を優遇するかだけではありません。シーア派の議員や閣僚が自分の地元部族を優遇しようとするかもしれませんし、そうなると、それを阻止するためにはスンニア候補に入れた方が良い場合も出てきます。そういう利害や政治的考え方、あるべき国の姿は国民一人一人で違うのが本当なのですが、実際にはそういう考えは投票に反映されずに、ボスのいう候補にいれます。これでは民主主義とは言えません。

   これはよその国のことではなく日本でも同じことです。日本の政治がこれまで田舎選出の政治家に牛耳られてきたのは、田舎では農協中心にボスが号令をかけて、ボスの押す候補に一斉に投票するからです。もし別の候補にいれたら村八分にされます。田舎の選挙を取り仕切っている人に聞いた話ですが、誰が対立候補に入れたか一票単位でわかると言っていました。こういう非民主的選挙が行われた結果、同じ候補が当選を重ね、当選回数が物をいう閣僚、党役員人事がきまります。一方都会では、こういう風に仕切るのは不可能で、医師会とか労働組合、宗教団体などが同様の仕切りを行いますが、選挙区でのカバー率は低いので、毎回当選者が変わります。ですから当選回数を重ねられずに、政党の幹部や閣僚になりにくくなっています。

   こういう田舎や都会での組織票が個人の自由な考えを圧殺しているのですから、日本は民主主義国とはいえないんです。この結果、税金を生んだのは都会の企業であり、市民であるにもかかわらず、税金をあまり払っていない地方に税金がもっていかれてしまいました。税金を生む都会に再投資しなかったために税収がじり貧になり、卵を産む鶏を殺してしまったのが今の長期不況です。本当に民主主義が機能していれば、人口の60%を超える都会からリーダーが出て、税金をさらに生んでくれる部門に再投資して、日本はもっと反映して来たはずです。田舎にいくら空港やコンテナ港、美術館や高速を作っても、維持費ばかりかかって、富は生みませんからね。

   そういう意味で一票の格差問題も重要ですし、都会の人たちがもっと怒りを表す政治行動をとるべきです。だいたい、小沢さんが刑事被告人になろうが、仮に有罪になろうが、彼は絶対に落選しないでしょう。都会の金をどれだけ地元につぎ込んでくれたかわかっているからです。小沢さんとつるんだボスが造反を許しませんから、必ず当選します。そしてみそぎは済んだと涼しいかをで権力を握ります。これが民主主義と言えますかね。
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国民主権

   福島原発事故の事故調査委員会が菅首相(当時)の過度の介入が事故対応措置の妨げになったと結論づけました。菅さんという人は東京工業大学出身の理科系ですから、常日頃取り巻きには、自分は理科系だから技術に詳しいと自慢していたのでしょうね。実際には学生時代には学生運動に明け暮れて、勉強などろくにしなかったはずですが、理科系という意識は心の底に常にあったのかもしれません。しかし、名目だけ理科系大学を卒業した人に複雑な原発の技術などわかるはずがありません。

事故直後冷却装置の専門家が冷却装置の設計図を官邸に送って設置を進言したら、菅さんが電話をかけてきて、おれが理解できないものを許可するわけには行かないといわれたとか。首相がそんなことわからなくてもと言い返したら怒鳴り返されておしまいになったそうです。結局、指導者としての度量が不足していたのでしょうね。

事故対応が始まった頃、東電社長が全員撤退したいと申し出たのに対して、菅首相は撤退は許さん、60才以上の人間は残せと言ったとか。そこまで生きたからもういいだろうと言うニュアンスを含んでいます。その発言を評価した人もいたでしょうが、東電は全員なんて言っていないと主張しており、真相はわかりません。アメリカ政府が、命がけで働く50人を讃えたそうですが、日本ではそんな言葉はあまり聞かれません。我々からみれば、その50人を含めた東電や東芝、政府の人間がこの事故をもたらしたのだから、自分たちで始末するのは当然だという事ですからね。戦国時代なら、この事態をもたらしただけで切腹ものの所を、事態打開のために切腹を許して、決死の作戦に参加させてやるというような感じです。

ハーバード大学のマイケルサンデル教授の白熱教室をやっていました。テーマは震災。一部見ただけですが、教授が、原発事故は自然災害か、政府や東電による人災かを会場の若者たちに聞きました。大体50:50位に分かれましたが、自然災害に挙げた女性に教授がなぜかと質問しました。彼女は、政府や東電の責任と言っても、私たち国民がそれを許したのではないか。国民が十分政治家や電力会社を監視しなかったのだから、国民も共同責任だ。だから政府や東電ばかりを責めても仕方がないと答えていました。

一瞬、私も良い事を言うとは思いました。民主主義では国民も権利だけではなく、責任も負う仕組みですからね。国民がもっと原発に反対していたり、政府と東電のなれあい体質を糾弾していれば、あんなことは起こらなかったかもしれません。しかし、彼女の言い分は論理的には正しくありません。会社で部下が失敗をした場合、課長が自分がもっと見てやっていれば彼は失敗しなかったのだからと責めないとしたら、組織としてはなりたちません。確かに最終責任は課長にありますが、それは部長や会社に対して責任を負うという事で、課内では課長は部下を叱らなければなりません。内容によっては解雇も必要です。  
原発事故でも、実際に最終的に責任をとらされたのは国民です。放射能汚染、避難、電力値上げ、計画停電などで多大の被害を受けました。それは我々が負託した政治家や官僚、そして電力会社がきちっと業務を遂行しなかったからであって、国民が政府のせいだ、電力会社のせいだと責めるのは正しいのです。

民主主義においては主権者は国民とされていますが、国民が直接政治を行うわけには行かないので、政治家や官僚に実務や決定を負託しています。それは選挙を通じて政治家を選ぶ事によって行われています。ですから主権者たる国民は政治家や官僚が失敗したら、先ほどの課長と同じように失敗した人たちを責める権利を持っています。

しかし彼女の言い分になるほどと最初思ったのは、日本人は選挙を通じて以外、ものを言わなさすぎるという事です。その選挙でも特に若者の投票率が低いと言われています。他の民主主義国ではもっと、若者を中心に、街頭にでて様々な主張をしています。日本も昭和40年代くらいまではもっと街頭に出ていました。私なんかも学生運動には参加しませんでしたが、就職後労働組合のデモには何度も駆り出されました。原発にしても、電力会社と政府のなれあいは、わかる人にはわかっていたのですから、国民がもっと圧力をかけていれば、政府や東電ももっと災害対策を真剣にやったかもしれません。10m以上の津波の危険を指摘した専門家もいたわけですから。

日本の国民運動がすたれたのは、共産党や社会党がこれを利用して、ソ連や中共よりの政策を政府にアピールしたからです。その究極が連合赤軍事件でした。この両党は日本の市民運動をゆがめた責任を感じるべきです。しかし現在はツイッター、ブログの時代になってきました。アラブの春を見てもわかるように、大きな武器になります。みんなが関心さえもてば、国民運動はもっと盛り上げられるはずです。今の政治の停滞は国民の無関心に由来しているのでしょうから。

人生相談

   世の中にはいろんな悩みを抱えている人がいるものですね。読売の人生案内なんかは編集部で厳選しているので、そうばかばかしい相談は乗せられていませんが、編集部がカットしているものはずいぶんおかしな相談が多いのだろうと想像します。その点同じ読売のネットに出ている、発言小町というサイトはそれほど編集の手が入っていないのでしょう。中には炊飯ものの相談があります。

   「20代独身女性、初めて親元から離れてアパートに住み始めました。でも困っていることがあります。ワンピースのチャックを自分で上げられないのです。親元にいる時は親にやってもらっていたのですが。仕方がないのでお隣のドアをノックして出てきた男性に頼みました。何度かやってもらっているうちに、部屋から女性が来て、私の彼氏に変な事頼むなと怒鳴られました。仕方がないので斜め前のおじさんに頼むことにしました。彼は喜んでやってくれました。そうしたら、隣の男性がやってきて、もうあの彼女とは別れたからまたやらせてくれと頼んできました。どうしたらよいでしょうか。」

   こんな相談をネットに乗せるとは信じられません。もしかしたら男が読者をからかうためにやっているのかもしれませんが。もちろん多くの人が応えていましたが、みんなぼろかすでした。そのうちチャックを上げるのではなく、下げられるよ、そんなチャックのついた服着なければよいじゃないかとか。

   もう一つはそれほど奇異な相談ではありません。「20代男性です。能力不十分で会社を解雇されました。半年間求職していますがまだ見つかりません。相談は、失業したとたんに友人たちが皆自分から離れていくことです。自分から会おうと声をかけても応じてもらえません。前の職場で親しくなった彼女に声をかけても、また就職出来たら会おうねと断られてしまいます。」という悩みです。

   こういう悩みを感じている人は多いでしょうね。俳優の加山雄三さんも、事業が失敗して破産状態になった時、友達がみんな離れていったとはなしていました。全盛時には彼の周りにみんな集まって、自分が加山雄三の友人であることを誇っていた取り巻き連中が、金と名声を失った元スターには用はないと言うようなもので、世間は冷たいと嘆くのも当然です。

   本当の友達ならそういう事にはならないのでしょう。失業した人にしても、加山さんにしても、交際の目的が、本当にその人を好きだから付き合っていたのではなく、加山の場合はスターだから、失業した人の場合は、一緒に飲んだり、遊んだりする相手として選ばれていただけの事だったのでしょうね。遊ぶ金のなくなった男と付き合う理由がないということです。

  私自身は本当の友達と言うものが存在するか疑問に思っています。学生時代はわいわい一緒に騒いだりして、いつも一緒に行動するような仲間がいました。就職後も時間を見つけてはつきあってはいました。しかししだいに仕事が忙しくなり、転勤になり、結婚して家族が出来ると、徐々に疎遠になっていきました。その頃付き合うのは会社の上司、同僚、部下、そして取引先の人たちでした。この人たちは友達とは言えませんが、寂しさを感じることはありませんでした。そして引退後、ゴルフ場のメンバーになり、そこでゴルフを一緒にするグループができました。しかし、ゴルフを一緒にするというだけで、ハーフの合間に一緒にランチするくらいで、それ以上の付き合いはありません。学生時代の友人とは引退者同士で付き合いが復活しましたが、それでも年に数回一緒にゴルフをするだけで、べたべたした付き合いはありません。

   このように淡白に出来るのも、夫婦関係が良好だからかもしれません。定年離婚というのが多いそうですが、そういう羽目に陥った人は、寂しくて必死になって友達を探すのかもしれません。そこまでいかなくても観光地を熟年の女どうし、男同士で歩いている人たちが多い事。おそらく配偶者がいても、同居人以上の存在ではないのでしょう。その結果、自分の寂しさを紛らわすための、慰めになってくれる人が必要なのでしょう。しかし配偶者とうまくやれない人が友達とうまくやれるかは疑問ですね。

   だいぶ話は脱線してしまいましたが、要するに失業して友達を失った人も、そもそも友達なんかに頼るのが間違っているのだと言いたいのです。人間最後は一人なのです。自分一人で精神を安定させられない人は何らかの依存症と言えるかもしれません。やはり自分は人に依存しないで生きていくのだという強い心を持たないと幸せにはなれない気がします。強い心を持ちながら、同じ目的を持つ者同士がその目的達成のために一緒になるという交際が良いと思います。その際も決して、人の心にずかずかと入っていかないことです。過度に親しくなると嫉妬など余計な感情がうまれますからね。これが西欧流の個人主義だと思います。

ギャンブル

  日本人は世界的にみると、ばくち好きという事はないでしょうね。許可されているのは公営の競輪、競馬、自転車やボートレース、たからくじ位のものです。石原東京都知事や橋下大阪市長がカジノ開設の特区をつくれと主張していますが、できそうにもありません。税収増や経済活性化の一助になると思うのですが、日本にはばくちは反倫理的と言う感覚があるのと、ばくちにのめり込んで悲惨な境遇に陥る人がいるからというのが反対の理由でしょう。

  倫理観はともかく、悲惨な人が出るなんていうのは大きなお世話のような気がしますが、どうでしょうか。自己責任の問題ですからね。日本には外国にくらべてばかな人がいるから、彼らが馬鹿な行動に走らないように賢い人にまで規制を掛けようという、日本独特のおせっかいもあるでしょうし、警察の利権になっているパチンコ産業を保護する為という側面もあるのでしょうね。

   私自身はギャンブルは嫌いです。あんな運不運で金を失うのが馬鹿馬鹿しいからです。そのおかげで悲惨な運命に陥らなくてすんだとは思っていますが、しかし必ずしもそれが良い性格とも言えないとも思っています。サラリーマン人生を無難に過ごしてきたとは思いますが、実際には人生の内、何度もギャンブルをしてきました

結婚もギャンブルでしょうし、転勤が多かったせいで、家なんか何度も売り買いしました。その殆どは損をしなくてすみましたが、運が良かっただけのことでしょうね。もちろん、買う時にこれは良い家だと思った直感が正しかったとは言えますが。これなんか実際にはゴルフの握りで何千円かけているのよりははるかに大きなギャンブルですが、ゴルフの握りは損したくないからいや、家を買うのは好きというのは矛盾でしょうね。ばくち好きの部下に、自分はゴルフやマージャンでかけるのは好きだが、あなたみたいな大きな賭けはようやらんと言われたことがありました。そんなものかなと思いました。

   しかし考えてみれば、起業家精神が欠如していると言われる日本人は、ばくち嫌いと共通しているのではないでしょうか。安定した大企業のサラリーマンが一番良いというのが日本人の大部分で、会社を起業するなんていう危ない事はやめておきなさいというのが本人も、周りの人も思っているでしょう。これは大きなギャンブルですからね。しかしこのギャンブルなくしては個人の資産も増えませんし、経済も活性化しません。新しい事というのは未知ですからね。もちろん努力が必要ですが、環境の変化など、運も左右します。知り合いにアメリカで退職後、住宅関連の起業をした人がいましたが、2年ほどたってリーマンショックが襲いました。お気の毒というほかありません。

   しかし、今の日本の経済の低迷はこの日本人の気質と大いに関係があると思っています。サラリーマンが自分でリスクをとらないのでは会社が新しい方向に行けるはずもありません。こうしたらどうだろうと思いついたら提案するまではそれ程リスクはありません。しかし、それは良い、君がやれと言われたら、個人的なリスクを負います。失敗したら会社にいられなくなりますし、失敗しないまでも、その過程ではそれまでの平凡な生活は一変してしまいます。だから自分から言い出すのはやめようと考えている人がほとんどです。でもギャンブル好きなら、失敗のことなどかんがえません。儲かる事だけを考えて行動をおこします。そういう性格の人が日本には少ないから日本人は保守的だと思われているのです。

   中国人はギャンブルが好きですね。世界のカジノでも目立つのは中国人です。白髪三千丈という言葉があるように、言う事のスケールが桁はずれていますが、彼らのばくちもビジネスも見ているとやることもでかいですね。今の日本の大手家電メーカーの苦境も、中国や韓国の大胆な投資についていけないからでしょう。台湾の鴻海など、生産受託業務(EMS)だけやりながら、生産の手間賃だけで10兆円もの売り上げを上げるそうですが、壮大な規模で設備を作るから安い手間賃で生産を請け負っても利益が出るのでしょう。日本人の思考のスケールではついていけません。私が現役の時も、日本の感覚で考える規模と全く違う次元で商談が起こるので戸惑ったものでした。

   やはり我々日本人は島国根性で、大陸的な発想についていけない面があります。サムソンの下請けになって部品を供給するくらいが性にあっているのかもしれません。しかしそれでは寂しいので、われわれももっとスケールの大きな人間になろうではありませんか。大事な事は失敗を恐れないことですが、
そのためにはあまり失敗した時の事を考えず、うまく行った時のことを考えることです。規模の問題でも失敗したら損が大きいからまずこの程度で始めてみようなんて考えていたら永久に成功しません。やる前にこの事業の成功のために適正規模を考えて、いきなりその規模にもっていかないとダメなのです。それで社内を説得できなければやめた方がよろしい。大規模にやって失敗したら責任をとって辞める覚悟だけしておけば良い事です。失敗しても個人財産をとられるわけではないですから、一般の起業とは違います。常に辞表を懐にいれていないとサラリーマンは良い仕事は出来ないものです。

イチロー

   私はアメリカのシアトルに長年今いたので、イチロー選手を応援してきました。昨年位からやはり年波には勝てないという事でかつてほどの成績はあげられなくなりましたが、これは仕方のない事です。しかしそれいがいに最近は気にいらないことがあります。日本のコマーシャルに出過ぎだという事です。だいたいアメリカではスターやスポーツ選手は宣伝には殆どでません。アメリカ人はスターが出ているからと言って喜んで買う程、子供ではないという事もあるでしょうが、私はそれよりも、中身を本当に理解していないものを買うように進めるという欺瞞を金の為とは言え自分も社会も容認しないからだと思っています。

   イチロー選手がビールの宣伝にでていて、本当にそのビールを飲んでいるのか、証券会社の宣伝で、個人向け国債を進めていますが、自分でも買っているのか、それよりも、そのリスクを理解しているのか、栄養補給剤を自分でも飲んで効果を感じているからみんなに進めたいと思っているのか?そんな事はありえないでしょうね。ただ金をやるからこういう風に演技してくれと言われて、やっているだけのことでしょ。そんなに金が欲しいのですかね。聞いた話ですが、イチロー選手が大リーグで活躍を始めた頃ユニクロから、オリックスにイチロー選手にコマーシャルに出てくれと頼んでくれと言われたことがあったそうです。しかしイチロー選手は自分のイメージと違うからと断ってきました。その頃の矜持はどこへいったのでしょうね。

   あの頃とくらべてもイチロー選手は格段の金持ちになった筈なのになりふり構わずコマーシャルに出るなど失望します。それは石川遼選手もおなじです。あんなにコマーシャルに出ていては練習もままならないのではないかと心配してしまいます。特に炊飯ものなのは、スピードラーニングという英会話の教材です。聞くだけでしゃべれるようになると石川選手が声高にのべています。しかし本人のアメリカツアーでの英語のインタビューの受け応えを聞くと、とても聞くだけでしゃべれるようになるとは思えません。彼は消費者をだましているという事になります。

   おそらくコマーシャルに出ている90%以上のスターが自分が宣伝している商品が本当にすばらしく、皆さんに使ってもらいたいと思って宣伝しているのではなく、ただ金のために言われた通りいっているだけなのでしょうね。性根がいやしすぎます。そして宣伝を依頼した会社はスターに大金をはらっています。当然ながらそれは商品価格に上乗せされています。我々消費者からみれば、好きなスターが良いというから、スターの出演料を上乗せされた、本当に良いのかどうかわからない商品を買わされているのですから、誠に馬鹿馬鹿しい話です。

   特に平日の昼間、主婦をターゲットにしたサップリメントの宣伝が目に余りますが、あんなもとはただみたいなものを有名人にこれは効きますよと言わせて、これに乗せられるのは暇を持て余している主婦という構図を見ると愚かしいとしか思えません。確かに大競争時代、宣伝をしなければ売れないというのはわかりますが、そのために高い金を払って商品に転嫁して、スターという金持ちをもっと金持ちにする必要があるのでしょうか?もっとスマートな宣伝の方法がありそうなものですが。

   しかしこれも国民のレベルの裏返しというしかありませんか。賢い国民ならスターが良いと言っているからと言って買う事はないでしょう。高い宣伝費の掛け損になります。日本人はスターが言えば買う、普通の人が言えば信用できないと判断するのでしょうね。それは政治でも同じですね。候補者の政治的能力や、人格などとは関係なく、タレントなら投票する、政治家の二世で先代と同じ姓をもつものなら投票するということで、その結果、今日の政治の混迷を招いているともいえます。田中前防衛相など、あの能力でも、田中元首相の娘婿だというだけで当選を重ね、順番だからと防衛大臣の要職に付ける、もとはと言えば国民の名門、有名人コンプレックスの結果でしょう。それが国を危うくするという典型です。

   我々日本人は政治でも買い物でも、もっと判断力を高めて、正しい選択を出来るようにならないと、個人も国もますます落ち込んでいくばかりです。賢くなりましょう。

少し大きい文字

逆進性

   小沢さんとの会談も不調に終わり野田さんは立ち往生しています。小沢さんが消費税上げに反対するのは、上げれば選挙に負けると考えているわけで、国の為を考える人だとはとても思えません。野田さんは財政赤字がここまで来たら不人気であろうとやるしかないと考えているのでしょう。彼にしてみれば夢にまで見た首相になったわけですから、自分の目的はすでに達成されたということで、不人気な政策もいとわないということかもしれません。長期にわたって権力を保持しようと言う程の野心はないのでしょう。

   消費税を反対する人たちの理屈の一つは逆進性です。1度8%と決めるとこの8%は金持ちにも貧しい人にも一律にかかります。もちろん、金持ちほど金を使いますから、税金の支払額は金持ちの方が貧しい人よりも多くなるのですが、それでも貧しい人には酷であるという主張です。

   でも考えてみたらこれもおかしな話です。消費税の上げは国民の為にやるのだということですが、どちらかというと貧しい人のためにやると言えませんか。もしこのまま財政が悪化をたどり、社会保障が破たんしたら、医療も、年金も介護も、生活保護などの制度がなくなってしまったり、大幅にカットされることになります。そうなっても金持ちは十分な収入があったり、資産を食いつぶしたりして生きていけますが、貧しい人は生きていけません。社会保障制度とは当然ながら貧しい人のためにあるのです。

   もちろん貧しい人の理屈は、それはその通りかもしれないが、消費税を上げられるといまより生活が苦しくなる、だから、もっと税金が必要なら金持ちだけからとればいいじゃないかという事でしょう。しかし果たしてそれが公正な社会と言えるのでしょうか。

   日本と言う国は先進国の中でも一番社会主義的な国です。共産国家中国から来た人が、日本は中国以上に社会主義的だと驚いたと聞きます。金持ちは罪悪、貧しい事は美徳だとでもいうような気風があります。金持ちは悪い事をしたからに違いない、貧しい人は清廉潔白に生きてきた結果だという空気です。この風土が、大企業の経営者の報酬が欧米の十分の一以下、社員は年功序列で、同年代は同一賃金と、能力や実績を無視した賃金体系が実施されている背景です。定年制も、優秀な人もそうでないひとも一斉にやめましょうと言う、悪平等の産物です。

   こういう風土ですから、貧しい人の発言力が他国に比べてつよすぎるのではないでしょうか。貧し人は福祉を受ける権利がある、社会で優遇される権利があるというような考えの人がいます。国会で共産党や社民党の議員が、支持者からの手紙と称するものを読み上げて、本当に苦しい生活をしている実情を訴えて、こんな人をあなたは放置するのですかと首相や大臣にせまると、大臣は個人の努力が足りないのではないですかとはとても言えません。

   しかし貧しくなるにはそれだけの原因があります。身障者や母子家庭のような不運な人を別にすれば、大概は努力しなかったか、ちゃんと収入を得ていたのに遊びに使ってしまって、老後の何の蓄えも作らなかった、どうせ国が何とかしてくれるだろうと考えてというような人が多いのではないですか。特に今、高齢者と呼ばれている人は高度成長期に現役時代を過ごしてきたわけですから、仕事に困るという事はなかったし、収入も年々増加した人たちです。最近の現役世代では失業した人も多いでしょうが、仕事のえり好みをしている人も多いと聞きます。介護や農業の人手不足は深刻で外国から人を連れてくるほどなのに、そんな仕事より生活保護の方がよいという人が増えています。

   金持ちになったひとは不正をした一部の人を除いたら、やはり努力の結果であると言えます。そしてその努力が日本を支えているのです。その支えている人のやる気をなくして日本が保つはずがありません。収入が少ないという事は生産性が低いということですから、生産性の高い人に頑張ってもらうしか国はなりたちません。ですから金が足りなければなんでも金持ちからとればよいと言う考えには賛成できませんね。日本もいい加減に社会主義から脱して、努力が正当に評価される社会に変える必要があります。そうでないと国が破綻して、結局、一番困るのは貧しい人なのですから。(金のある人、能力のある人はいつでも外国にいけます)

街角情報室

NHK朝のニュース番組の中で、街角情報室という番組があります。殆どが中小メーカーが工夫をこらした商品を紹介しています。これを見ていると、まあこれだけ良く工夫するものだと関心します。いちいち覚えていませんが、水分が下の段に流れる大根おろし器とか、光るランニングシューズのひもとか。こんなものがどれだけ売れるのかとおもいますが、工夫して作る方も必死なのでしょうね。

大手メーカーでも携帯なんか、日本の技術は優れているのに世界ではシェアを取れない、日本独自に発達して、ガラバゴスだなんて揶揄されています。日本と言う比較的大きなマーケットがあるので、そのマーケットに安住して世界規格で商品をつくるという発想に欠けていたというわけです。最近の伸び行くマーケットは明に新興国に移ったにもかかわらず、新興国で売れる機能を限定した安い商品をつくらず、日本向けに凝りに凝った商品開発にしのぎをけずったのです。

我々日本人でもシニア世代などはどんな商品を買っても機能が多すぎて、殆ど使い切れて居ません。電子レンジでも一杯機能があっても使うのは暖めるだけなんていう人が多いはずです。それなら暖めるだけの安いやつでよいのに、日本にはそんなものはうっていなかったりします。

こういう風潮が日本メーカーが中韓の後塵を拝する結果につながったともいえますが、考えてみると無理もない面があります。日本は中韓にくらべ人件費、土地の値段、エネルギーコスト、法人税などが高く、同じものを作っていては競争が出来ません。中韓が機能を限定した安い汎用品を大量に作るのに対抗できないのですから、日本は高級品をつくるしかありません。汎用の安い商品は日本にも大量に流入していますから、日本製は高級品に特化するとか、差別化するしかありません。

こうして作られた高級品や日用品でも便利なものはある程度は売れるでしょうが、このデフレ時代には売れる量はしれています。ビジネスの主流にはなれません。特にグローバル化の時代に世界規模で売れている商品の価格は非常に安いですし、たいていのものはそれで間にあってしまいます。

大手家電メーカーが軒並み巨額の赤字をだしました。パナソニックなどのケースでもお粗末な話を聞きます。テレビが急速にコモデティー化していることに気づかずに、何千億円もかけて新工場を建設したのに、わずか二年で操業停止という話です。昔液晶テレビなど薄型テレビが出現した時はすごい技術だと思ったものですが、考えて見ればコモデティー化したパソコンと似たような商品じゃないですか。部品を集めればだれでも組み立てられる商品なのです。その組み立てのコストは圧倒的に人件費やインフラコストの安い中韓で作った方が安くなるにきまっています。

こういう産業はやはり海外に行くしかないのでしょう。日本に工場を作った結果が大赤字なのですから。しかし中韓の作っているテレビにしても部品の多くは日本製です。韓国の対日貿易赤字が巨額であることを見てもわかります。こういう部品メーカーは高い技術で真似のできない製品を作っています。日本の生きる道の一つでしょうね。ただ部品ではビッグビジネスにはなりません。ビッグビジネスにするにはやはりブランドを確立して世界市場に自社ブランドで販売するのが一番でしょうけれど。

アメリカの企業も似たような苦境に立たされましたが、アメリカの場合は日本と違って、中韓に負けないような世界的企業がどんどん出てきます。IBM,マイクロソフト、アップル、グーグル、フェースブック、スターバックにアマゾンなど等。日本にも同種の企業がありますが、やはりこれらの企業の二番煎じですから、しれています。

こういう現状も見るとやはり日本には人材が不足しているという事でしょうね。ばかみたいな暗記物中心の受験勉強を強要して、良い大学を出た人間を採用して、その会社の型にはめる環境に限界があるのでしょう。会社方針に従ってこつこつやる人間は沢山居ますが、時代を見据える深い教養と思考力を身につけたビジネスマンや技術者を養成できていないのです。ですから思いつくものといえば街角情報室程度の小回りが利くような商品しかないのでしょうね。

日本が再び経済成長軌道に乗るためには中韓と差別化する高い能力を持つ人材を持つしかありません。彼らと同じ仕事しかできないのなら今の給料の何分の一かで合理的なのですから。そのためには根本的に教育システム、会社の体制、そして社会システムを変えるしかないのでしょうね。

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